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横浜外国人墓地に眠る、ジラール・ペルゴ創業一族の1人

1791年ジュネーブに創業。その後1856年、コンスタン・ジラールとマリー・ペルゴにより現在に続く会社を設立したジラール・ペルゴ。19世紀後半、新たな市場開拓が必要不可欠としていた同社は、マリーの弟であり時計師だったフランソワ・ペルゴを東洋に向かわせた。

開国したばかりで、スイス時計がまだ参入していなかった日本もそのターゲットであったのだが、当時まだ日本とスイスは国交がなく、フランソワは1859年にまず、シンガポールに入り、1年後、フランス領事の力を借り、横浜に上陸したという。こうして、彼は初めて日本に入国したスイス人の1人となった。

ところが、ビジネスは最初からうまくはいかなかった。当時の日本の時刻制度は、日の出と日没を基準とする「不定時法」が使われていたのだ。それでもフランソワは日本に残り、時計以外の輸入業務もはじめ、炭酸飲料の会社を設立したという記録もある。その後1864年に、スイスとの修好通商条約が締結され国交が始まると、翌年、横浜にF.ペルゴ&カンパニーを設立。ジラール・ペルゴの代理店となった。